マックス・ラーベ
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パラスト・オーケストラ との時間旅行
ギュンター・ギュルチュ誕生。ギュルチュ氏はパラスト・オーケストラで人生経験、職歴共に最も豊かなメンバー。古い譜面やレコードが発掘されると、彼はたちまちアレンジに取り掛かる。何調であろうと、サックス アンサンブルに関しては、彼の右に出るものはいない。
ヴァルター・ユルマンが“Veronika, der Lenz ist da / ヴェロニカ、春が来たよ”を作曲。その2年前、ベルリンで結成されたコメディアン・ハーモニスツ、彼らがこの曲をポピュラーにする。しかしその後、このキャッチーなメロディーも当分の間、忘れられてゆく。
米Conn社で、一本のテノール・サックスが製造される。それは、幾多の道を経て、ベルンド・フランクの手元へたどり着く。70年後、パラスト・オーケストラでそのサックスを吹くフランク氏曰く、古い楽器はより暖かな音色が出るのだとか。
ある伝記作者が記したところよると、1962年12月12日、ラーベ何某という人物が、初めてその声を発したとのこと。早い話、マックスが生まれたのです。
将来の音大生マックス・ラーベ、音楽の神秘に出会うこと二度。一度目は地元の少年合唱団で。もう一度は音楽の授業で、ベートーベンの第九に深く感銘を受ける。
マックス・ラーベは、両親のレコード棚から初めてのシェラック製レコードを発見。陽気でアップテンポなフォックストロットだったというが、同時に、少し物哀しげなものがあったとか。そのタイトルは“Ich bin verrückt nach Hilde / 僕はヒルデにくびったけ”。
リューネンの公民館で、寸劇や小噺を楽しむ、ボーイスカウトの寄り合いが行われる。マックス・ラーベはここで初めて、人前で舞台に立つ。
マックス・ラーベ、故郷のヴェストファーレン地方を離れ、ベルリンへ。声楽のレッスン料は、庭師やアパートの管理人として稼ぎ、時折、歌で近所の人々を喜ばせて、お小遣いを得る。
ベルリン芸術大学の同僚同士で、厳正で飾り気ない、二十年代の響きを再生しようというアイディアが生まれる。資料館や古本屋、フリーマーケットで昔の歌謡曲を探し、稽古が始まる。
1987年
ベルリン劇場舞踏会1987。うっとりするような歌声のボーカルに率いられた、12人組オーケストラの初公演である!彼らが人前で演奏した、記念すべき初タイトルは、フレッド・レイモンド作曲の“Abends, wenn die Lichter glüh’n / 夜、明かりが灯る頃”。ところが、その場所はメインの会場ではなく、なんとロビーの一角。しかし、そんな待遇もこれが最初で最後。その日の人々も舞踏会場に入らず、足を止めて聴き入っていた。オーケストラは結局、プログラムを二度も通して演奏するはめになる。
ベルリン芸術大学でオペラ声楽の勉強に励む傍ら、マックス・ラーベはパラスト・オーケストラと共に初のレコードを録音。そのタイトルは“Die Männer sind schon die Liebe wert / 殿方は愛すべき”。収録曲の一つが、“Mein Bruder macht beim Tonfilm die Geräusche /兄弟はトーキー映画で音を出す”。今日もコンサートには欠かせない一曲である。
サクソフォニストとクラリネティストのスヴェン・ベーレンスが、オーケストラに参加。
パラスト・オーケストラは2枚目のアルバムを発表し、一発屋ではないことを証明。そのタイトルは“Kleines Fräulein, einen Augenblick / 小さいお嬢さん、ちょっとお待ち”。
ここからは、順風満帆。LPレコード“Ich hör so gern Musik / 音楽を聞くのは大好きだ”を製作。パラスト・オーケストラ3枚目のアルバムである。これを皮切りに、今後17枚ものアルバムが発表されることとなる。
携帯電話を好まないマックス・ラーベのような人物は、情報通信時代の悩みにことさら敏感である。こうして、“Kein Schwein ruft mich an, keine Sau interessiert sich für mich. / 誰も電話を掛けちゃくれない”を作詞・作曲。ヒット曲となる。
演劇“Der Blaue Engel / 嘆きの天使”の企画が動き出す。ペータ・ツァーデック演出のこの作品で、マックス・ラーベは学徒役を任され、翌年、エヴァ・マッテス、ハイノ・フェルヒ、ウテ・レンパー等と共に舞台に立つ。
ベルリンで演出されたオペレッタの定番、“Im weißen Rössl / 白馬亭にて”で、マックス・ラーベはジードラー博士を演じる。パラスト・オーケストラの方も、ゼーンケ・ヴォルトマン監督の映画、“Der bewegte Mann / アクセルの災難”に出演し、サウンドトラックも録音。収録曲はもちろん、“Kein Schwein ruft mich an… /誰も電話を掛けちゃくれない…”、“Die Männer sind schon die Liebe wert / 殿方は愛すべき”、そして“Kleines Fräulein, einen Augenblick / 小さいお嬢さん、ちょっとお待ち”。
マックス・ラーベ、ようやく大学を卒業。“国家認定バリトン”の資格を得る。本来目指していたオペラには、結局行き着かないことに。ラーベ曰く「クラシック歌手には、私には無い猛烈な自制心が必要。私はどちらかと言うと享楽的だから」。卒業と同時に、名誉な出来事がもう一つ。ヒルデカルト・クネフがマックス・ラーベとパラスト・オーケストラと共にシングル“Jene irritierte Auster / 彼の悩めるカキ”を録音。曲のアレンジと音楽監督は、ギュンター・ギュルチュ氏が受け持つ。
パラスト・オーケストラに二人のメンバーが新たに参加。サクソフォニストのライナー・フォックスと、バイオリニストのウルリヒ・ホフマイスターが加わった。そんな頃、マックス・ラーベはゼーンケ・ヴォルトマン監督のリメイク映画“Charleys Tante /のんきな叔母さん”に出演して俳優業をかじる。
オーケストラは結成十周年。ベルリン最高の屋外劇場“ヴァルトビューネ”の記念講演には、一万七千人ものファンが詰めかける。「これはまたやろう!」と、メンバーは口々に言う。
ドイツ、スイス、オーストリア、オランダでの数々のツアーを経て、オーケストラはついにスウィングの生まれた国に乗り込む。「ロサンゼルスの初公園は、お客さんがホールに入りきらないほどだった」と、ラーベは振り返っている。
マックス・ラーベはニナ・ハーゲン、HKグルーバーと共に、アンサンブル・モデルンによるCD製作、ベルトルト・ブレヒト原作の“三文オペラ”に参加。マック・ザ・ナイフの役を歌う。
これまでのナンバーとは対照的に、パラスト・オーケストラ最新のアルバムには、ブリットニー・スピアーズの“Ooops, I did it again”やトム・ジョーンズの“Sex Bomb”が収録される。近年のポップソングのカバー版を多数含むこのCDは、東欧で大ヒット。“Super Hits”は、ラトビア、ウクライナ、リトアニアでヒットチャート一位に躍り出る。
アルバム“Charming Weill ”を発表。作曲家クルト・ヴァイルへのオマージュである。マックス・ラーベはヴェルナー・ヘルツォーグ監督の映画“Invincible / 神に選ばれし無敵の男”に、祭司の約で出演。
パラスト・オーケストラは、4万人の観衆の前での、ウィーン芸術週間のオープニング公演という名誉を預かる。同年、“Lady Marmalade”、“Angel”、“Dance With Me”などが含まれる“Super Hits 2”を発表。アルバム“Charming Weill ”は、ドイツで最も権威のある音楽賞、クラシック・エヒョーを受賞。ミヒャエル・エンデルスがオーケストラの音楽監督に就任し、マックス・ラーベは“Klonen kann sich lohnen / クローンはおすすめ”を作曲。
8月、盛大な“パラスト・レビュー“がハンブルグ、タリア劇場で初公演を迎える。以後、このプログラムは延べ50万人の観客を動員することとなる。その傍ら、オーケストラはワルター・ユルマンをたたえるコンサート・シリーズを開催。“Veronika, der Lenz ist da / ヴェロニカ、春が来たよ”などを手がけた作曲家である。
パラスト・オーケストラのレパートリーは、500曲にも上る。それには、“Ich brech’ die Herzen der stolzesten Frau’n / 僕はどんな貴婦人ですら泣かせてしまう”や“Veronika, der Lenz ist da / ヴェロニカ、春が来たよ”などの古典のほか、“Carmen, hab’ Erbarmen / カルメン、僕を許して”などオリジナル作品も含まれている。全てあわせると20時間、繰り返すことなく演奏することができるのだ。
栄誉な出来事が続く。まずゴスラー市より、マックス・ラーベにパウル・リンケ賞が贈られる。そしてパラスト・オーケストラは、ニューヨークのカーネギーホールで公演を行う。ニューヨーク・タイムスは「過ぎた時代が甦った」と絶賛。マックス・ラーベは「ここまで熱狂的に迎えてもらえるとは、想像もしなかった。スタンディングオーベーションもあり、アンコールを3曲も演奏した。それは、ここではすごく珍しいこと。公演後の舞台裏で、私達はワールドカップで優勝したサッカー選手のように抱き合って喜んだ」と振り返っている。
五月、マックス・ラーベとパラスト・オーケストラは、さらに遠くへ足を伸ばし、計三週間のツアーで、日本と中国で公演を行う。コンサートには、あわせて2万人以上の観客が来場する。八月、ベルリンのヴァルトビューネで行われた記念コンサートにも、同じだけの観衆が詰め掛ける。この公演は、ARTE、RBB、BRの各テレビ局が放送した。
オーケストラで最も美しい女性、そして主席バイオリニストとして、六年間活躍したハンネ・ベルガーが、チェチリア・クリサフリに弓を譲る。また、音楽監督もミヒャエル・エンデルスからベルンド・フランクに。マックス・ラーベとパラスト・オーケストラは2007年も演奏旅行の連続。初めてユダヤ教会で公演を行う。サンフランシスコのエマヌエル寺院で、1200人が、20年代~30年代初頭の音楽に耳を傾ける。マックス・ラーベは日本語の曲を三タイトル録音。五月には2枚のCDを日本で発売。収録されている日本語タイトルは、その後の日本ツアーでハイライトとなる。11月、マックス・ラーベ & パラスト・オーケストラは、カーネギーホールの招待で再びニューヨークへ。それに先駆けて10月30日、新しいコンサート・プログラム“Heute Nacht oder nie / Tonight or Never ”がロサンゼルスで世界初公演を迎える。
2008年4月10日、ベルリンのアドミラールス・パラストで、コンサート・プログラム“Heute Nacht oder nie / Tonight or Never”のドイツ初公演が行われる。そこから、ドイツ、オーストリア、スイス、米国で計70都市を巡るコンサート・ツアーが幕を開ける。4月11日には、ニューアルバム“Heute Nacht oder nie – Das Carnegie Hall Konzert ”が発売。ワルター・ユルマンの“Veronika der Lenz ist da / ヴェロニカ、春が来たよ”は今もコンサートで大人気。ベルンド・フランクは、今日も古いテノール・サックスの音色を楽しみ、ギュンター・ギュルチュも変わらずに、パラスト・オーケストラの曲をアレンジしている。そう、何事も昔のままなのだ。
ツアー“Heute Nacht oder nie / Tonight or Never”は大人気のため、2009年も延長して開催。日本、米国、ハンガリー、ギリシャ、ポーランド、フランスなど各地を訪れる。