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完璧な着こなしのタキシード、ピカピカの髪、小粋な眼差し ― 20年代、そして30年代初頭の名曲に、マックス・ラーベは愉快な哀愁を含ませて唄う。唱歌、歌謡曲、戯れ歌。キューバのルンバ、明朗なフォックストロット、優艶なタンゴ。驚くほど真剣で、それでいて明るく、もの哀しげで軽快。そんな音楽である。アイロニーに満ちたその歌詞は、80年前と同じように、今日も世の心をぴたりと現している。
パラスト・オーケストラの結成から20年余り、リューベックとロサンゼルス、ミュンヘンとモントルー、国内外で数え切れないほどの舞台を経た今も、彼はその素晴しいまでの時代離れで、人々を驚かせている。 “Dein ist mein ganzes Herz / 僕の心は全てあなたのもの”や“Bel ami”、“ Mein Bruder macht beim Tonfilm die Geräusche /兄弟はトーキー映画で音を出す”など、彼の歌はアナクロニズムに満ちている。それは、20年代と30年代初頭の、それこそ古めかしい音楽。遠い時代の、音楽史に残る宝石なのだ。驚くべきなのは、その演出があまりに飾り気無く、からりとさめていると同時に、胸が躍るような存在感を持ち、八十年も昔の曲に、まるで出来立てのような、新鮮で活き活きとした響きをもたらしていることである。それはつまり、単なるリメイクや模倣、当時を知る世代のための甘酸っぱい懐古演奏ではなく、これら素晴しい作品の、時間を超越したモダニティを新たに開拓する、堂々たるニューアレンジである。博物館の音楽ではなく、その一味違ったユーモアと、皮肉の効いたアイロニーは、ドイツで類を見ない、永久のアミューズメントなのだ。
ラーベは、その演出に最も秀でている。変幻自在のバリトンは、必要あらばテノールの声域へ駆け上り、また奈落のようなバスを響かせる。こうして、つむじ曲がりな戯れ歌歌手、高飛車なベルカント使い、艶やかなレビュー歌手、場末のファルセットを、たった一人で体現するのだ。ワルター・ユルマンの“ニノーン”では、その歌声は柔らかに、そして訴えかけるようにフロアを踊りぬけてゆく。「世界のどこかに / 小さな幸せが / いつの時もそれを夢見て…」と、ひとたび唄われれば、あまりの美しさに全てを信じてしまうものなのだ。
その小さな幸せを、彼は自ら探し、そして見つけたのである。1962年、ヴェストファーレン地方リューネンに生まれ、地元の少年合唱団で始めて音楽の神秘に触れる。小学校3年生にして、ワグナーのオペラに感動を覚え、ベートーベンの第九には、文字通り度肝を抜かれる。その後、寄宿舎高校の聖楽団でその音楽愛を育む。ワグナーやベートーベンだけではなく、その頃、突然またラジオで流れるようになっていた“黄金の”20年代の不思議な音楽、特に有名なコメディアン・ハーモニスツの曲に耳を傾ける。両親のレコード棚からは、初めて見るシェラック製レコードを発見。“Ich bin verrückt nach Hilde / 僕はヒルデにくびったけ”は、愉快で同時にもの哀しげなフォックストロットだった。
ベルリンと聞けば、心が躍った。よって、二十歳のラーベは故郷のヴェストファーレン地方とカトリック司教区パダボーンを離れ、ベルリンに移り住む。同時に、声楽の個人レッスンを受け始める。有名なベルリン芸術大学での、7年間に及ぶ学生生活をまかなうために、ラーベ青年は植木を切り、他人の芝を刈り、薄暗い廊下を磨き、時には歌で近所の人々を喜ばせて、お小遣いを得る。目標は、柔軟なバリトンを生かしてオペラ歌手になることだった。しかし1986年、生活費稼ぎのための、思いがけなくも身近なアイディアが転機をもたらす。
パラスト・オーケストラを結成して、20年代、そして30年代初頭の歌謡曲を演奏 ― これが将来、上海、モスクワ、そしてはるか東京まで進出しようとは、誰もが思いもしなかった。しかし、まずは譜面の調達である。趣味の合う大学の同僚と共に、ラーベは資料館や古本屋、フリーマーケットで古いレコードや映画を探し当て、それを元に、多声のオーケストラ・バージョンを作り上げた。昔のレコードや映画で聴いたことのあるような、古めかしくシンプルな響きを目指した。稽古は一年にも及び、1987年のベルリン劇場舞踏会、ついに12人編成のオーケストラと、うっとりするほど柔らかな声のボーカルが初めて人前に立つ。その会場はしがないロビーの一角だったものの、人々はメインの会場に入らず、ロビーで足を止めて彼らに聴き入った。プログラムは大評判、二度も続けて演奏するはめになった。それが人々のリクエストだったのだ。
この時点で、マックス・ラーベはまだあくまでローカルな有名人。世界都市ベルリンにふさわしく、社交的でスマートでこそあっても、その名はまだ世界には届いていなかった。国家認定オペラバリトンの資格を得ていた彼はそこで、自らペンを執ることを決意。深く人間的な経験をもとに、哀歌“Kein Schwein ruft mich an, keine Sau interessiert sich für mich. / 誰も電話を掛けちゃくれない”を作詞・作曲。情報通信時代に生きる、幾多の人々の気持ちを見事に表現し、大成功を収める。世間では、これをブレイクと呼ぶのだろう、物事はとんとん拍子に進み始める。次々にコンサートをこなし、演奏の依頼が増え、会場の規模も大きくなる中、ラーベに舞台や映画出演の話が舞い込む。ベルリンで上演されたオペレッタの定番“Im weißen Rössl / 白馬亭にて”でジードラー博士を演じ、学徒役を任された、ペータ・ツァーデック演出の“Der Blaue Engel / 嘆きの天使”では、エバ・マッテス、ウテ・レンパー、ハイノ・フェルヒと共に舞台に立つ。ゼーンケ・ヴォルトマン監督のヒット映画“Der bewegte Mann / アクセルの災難”にはオーケストラごと出演。TV映画“Charleys Tante /のんきな叔母さん”と、ヴェルナー・ヘルツォーグ監督作品“Invincible / 神に選ばれし無敵の男”のキャストにも名を連ねた。
1994年、ヒルデガルト・クネフと共にシングル“Jene irritierte Auster / 彼の悩めるカキ”を録音。そしてその3年後、オーケストラは早くも結成10周年を迎え、ベルリンのヴァルトビューネ劇場で記念コンサートを開催。2000年にはアルバム“Charming Weill”を発表。偉大な作曲家、クルト・ヴァイルへのオマージュアルバムは、音楽賞“クラシック・エヒョー”を受賞する。ラトビアではパラスト・オーケストラの “Super Hits”が、ビートルズの“No. 1”を押し退け、ヒットチャート1位を獲得すると、2002年には4万人が見守る中、ウィーン芸術週間のオープニング公演という名誉を預かる。
今や500曲にも上るパラスト・オーケストラのレパートリーには、“Ich brech’ die Herzen der stolzesten Frau’n / 僕はどんな貴婦人ですら泣かせてしまう”や“Mein kleiner grüner kaktus / 僕の小さな緑のサボテン”などの古典のほか、数々のオリジナル曲も含まれている。“Carmen, hab’ Erbarmen / カルメン、僕を許して”は、全ての男をベッドに連れ込む、発情的な婦人の物語。“Klonen kann sich lohnen / クローンはおすすめ”は、恋人への脅しである:「僕と別れるというのなら / 君をクローンするまでさ / 君のコピーさえあれば、君なんかいらないのさ…」
2003年八月、大掛かりな舞台装置、バレエ団と映像演出を擁する“パラスト・レビュー”が、ハンブルグのタリア劇場で開幕。DPA通信はそれを「輝かしい大盛況」と報じた。このショー・プログラムはドイツ、スイス、オーストリアで、述べ50万人の観客を呼ぶこととなる。
ニューヨーク、上海、東京、パリ、モスクワ、ローマ、ロサンゼルス、アムステルダム、アテネ ― マックス・ラーベ率いるパラスト・オーケストラのステージは、各地で拍手の嵐に包まれている。彼が唄う歌詞がドイツ語であることを、国際的な聴衆は気にしない。ラーベの芸術に、国境は無いのだ。クールで有名なニューヨーカー達は2005年11月、ラーベを満員のカーネギーホールに迎え、そのうっとりするほど柔らかな歌声をスタンディングオーベーションで称えた。ニューヨーク・タイムスは「過ぎた時代が甦った」と絶賛し、あまりの人気にカーネギーホールは2007年11月、彼らを再びコンサートに招待することとなる。
2006年五月、マックス・ラーベとパラスト・オーケストラは、これまでで最も遠方へ旅立ち、計三週間のツアーで、日本と中国で回る。日本の東京と西宮、中国の上海、昆明、成都、廣州、福州をはじめ、各地のコンサートには、あわせて2万人以上の観客が来場した。
2006年8月のある日曜日、マックス・ラーベ & パラスト・オーケストラは約2万人の観衆をベルリンのヴァルトビューネ劇場に迎え、20年代と30年代の歌謡曲で客席を感激の嵐に包み込んだ。米国、イタリア、日本、中国へのコンサートツアーが大成功に終わり、地元ベルリンでのオーケストラ結成20周年記念公演 ― 詰め掛けた人々にとっては、忘れられない夕べとなった。その模様はテレビカメラに収められ、ARTE、RBB、BRの各テレビ局が放映、後日、DVDとしても発売された。
2007年10月、ロサンゼルスで新しいツアー・プログラム“Tonight or Never”が開幕。この演目で数日後、マックス・ラーベ & パラスト・オーケストラは2800人で満員のニューヨーク・カーネギーホールを舞台に、国際的にも注目を集めたフェスティバル“Berlin in Lights”のオープニング・コンサートを勤める。ニューヨーク・タイムスは「魅せる」と、今回も大絶賛。この公演のライブ録音は、ダブルアルバムとして発売された。
そして2008年4月10日、ベルリンのアドミラールス・パラストで “Tonight or Never”のドイツ初公演がついに行われた。大人気のツアーは2009年も開催。ドイツ、スイス、オーストリア、フランス、ポーランド、ハンガリー、ギリシャ、日本、米国など、各国を訪れる。
2009年1月、ベルリン